【書評】日本版キャッチャーインザライは、優しさで溢れている【乗代雄介「それは誠」】

どんなお話?

ネタバレありです。

第169回芥川賞候補に選ばれた、乗代雄介「それは誠」は著者最新の中編小説です。

この物語は、主人公の男子高校生 佐田誠 が、数日前に行った修学旅行について思い返しながら書くというお話です。

修学旅行前に佐田は、自由行動の行き先候補として、親戚のおじさんに一人で会いに行きたい、と言い出します。

それは主人公以外にとっては無関係なことで、また班行動の規則を破ることでもありました。

しかし班の男子メンバー3名(松・蔵並・大日向)がそれぞれに思うところがあり、女子(小川楓・井上・畠中)とは別れ、主人公と共に行動することになります…

文章がめんどいんだけど…!?w

語り口が、なんていうか、面倒くさいですよね(笑)

ひねくれている男子の語りは好みがわかれるところだと思いますが、僕にとっては、とてもよかった。

J・D・サリンジャー・キャッチャー イン ザ ライの日本版に読めて、僕には最高でした。

ものすごくひねくれてる感じが、とても爽快ですし、

修学旅行っていう場面設定もちょうど良かった。

それに描写力が凄まじく、相当筆力の高い作家さんだなと感じました。

登場人物たち全員のキャラクターが独立していて、書き分けが見事です。

そして、かなり笑えました、純文学小説で、ここまで笑ったのは初めてかもしれません。

もし読んでみて文章が読みづらかったら「ここ、笑うところだ!w」と思いながら読んでみてください。きっと爆笑の皮肉ポイントがたくさんありますよ。

結局何が言いたい小説なの?

僕の受け取ったテーマは「優しさ」です。

この小説では、人の孤独や弱みを「溺れている」と表現しています。

もしあなたの身近な人が溺れていたら助けてあげたいですよね、でも助ける能力があなたになかったら?

それなら、せめて一緒に溺れよう…と考える。

そう思うことは優しいことかもしれません。けれどもしそれが相手に伝わることがなかったら、その優しさは存在するのでしょうか。そんな優しさなんてインチキかもしれない。

主人公は、自分の無力さを知っていますし、一緒に溺れてやることにも果たして意味があるのか、肯定することができません。

しかし主人公は、弱い人・孤独な人を無視することができないので、せめて自分も近い立場になる(孤独になる 溺れる)という手段を選びます。

実際に主人公には両親がおらず、気に合う友達もおらず、寂しいと言える環境で育っています。でも環境が彼を孤独しているというよりは、彼は自ら孤独を選んでいるようです。

そんな主人公が、修学旅行中に別行動をしようとした時、班の男子メンバーが一緒についてきてしまいます。

彼らにとっては何のメリットもない行動です。

でも主人公が叔父に会いに行きたがっていることから、何かを感じ取り、説明のつかない理由で、主人公と共に行動します。

言ってみれば、彼らは主人公と一緒に溺れようとしてくれているのです。

溺れている人を助けることができないならせめて一緒に溺れようとすることは、まったく合理的な話ではありません。

無意味です。

だけど、理屈を抜きにして、無意味さを否定しようとする「その行動こそが優しさ」だと読めるのではないでしょうか。

こんなことができるのは高校生だけ、本当に青臭くキラキラ輝く青春小説です。

優しさを起点としたシンプルな人間関係が、いつしか友情になり得て、孤独に打ち勝つことができるのかもしれない。

僕は高校時代、ここまで人に優しくできなかったかな…

そのほかにも、

自分で選ぶ本当の自主性 VS  学校から用意された宣伝用の自主性 や、

気になる異性、大人への反抗など、並行に描かれてる他のテーマもあります。

弱い人を承認する優しさの物語。

僕の芥川賞予想は、
「それは誠」「ハンチバック」のダブル受賞です♪

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